あけましておめでとうございます




今年もよろしくお願いいたします。





遅いですね〜

すみません。

もうとっくにあけてました。


いやいや、クリスマスボケ?というか、
正月ボケ?というか。

ふわふわした気持ちで過ごしていました。

そのため仕事と自動車学校に通うので精一杯で、
ブログはしばらくお休みしています。

書きたいことはいろいろあるのですが、
前にも書いた通り
私は同時にいろんなことができない人なので、
自動車学校も終盤にかかったこともあり、
免許が取れるまではブログまで手が回らなそうです。

私自身は元気ハツラツですので大丈夫です。

2009年は、いろんな経験や挑戦ができた年でした。
2010年は、そのなかから自分の重点を置くものについて、
幅を広げていきたいと思います。

特にコンピューターミュージック。
次に韓国語。

ビジョンの為、今年はこれらをより
身につけることが目標です。
この2つは来月位から(免許が取れればですが)、
本格的に取り組めそうです。

あと運動も!!

自然と環境が整えられることに感謝です。


落ち着いたら、また更新します。

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怒涛の1週間&幸せな1日


終わった〜〜〜〜!!!!!

今日、働いている施設のクリスマス会が終わりました!!
いや〜忙しかった!!!

ここ1週間はクリスマス会の準備や練習で、
毎晩0時過ぎまで頑張りました!

私の勤める施設はキリスト教の法人施設
ということもあり、
クリスマス会が1年の中で最大のイベントです。
職員みんな通常の業務に加え、会場の飾り付けや
出し物の練習、
利用者へのプレゼントを考えたりと、
本当に忙しい日々を過ごしました。

午前中はクリスマス礼拝と有志の職員での出し物、
午後はクラスにわかれて、それぞれイベントを行います。
親御さんたちもいらっしゃり、とても賑やかな1日です。

私はクリスマス礼拝の奏楽(ピアノ)と、
その後の出し物で、吹奏楽にサックスで参加しました。

礼拝は毎年市内の教会の牧師さんが来てくださり、
本格的な礼拝を行います。
私は嬉しい事に奏楽を依頼されましたが、
厳かな感じで、かなり緊張しました。
暗譜するほど練習し、本番に挑みたかったのですが、
毎晩準備や吹奏楽の練習が入ると、
なかなか1人でピアノの練習をする時間がとれず、
やっと前日と今日の朝に、本番に使うピアノで猛特訓
をしました。
そのため、最後はまさに神頼みしました。

「Do your best,
and God will take care of the rest」
(自分のできる限りのことをしなさい、
あとは神様がやってくれるから)

やっていただきました。
間違ってばかりいたところも、良い感じにできたし、
大きな失敗もなくできました。
よかった〜!

讃美歌を4曲弾いたのですが、
弾いてみて改めて讃美歌の美しさに感動しました。
自然と強弱がついたり、気持ちが入るのです。
そして癒されます。
前にゴスペルピアノで有名なピアノコージさんが、
1番好きな音楽は讃美歌だとおっしゃっていたのを
思い出し、
初めてそれがわかった気がしました。

礼拝が終わるとすぐ吹奏楽の準備です。
出し物は私たちの他に、ハンドベルや影絵があり、
吹奏楽はトリを務めました。
礼拝が無事に終わったので、清々した気持ちで参加でき、
演奏は本当に楽しかったです。
職員それぞれ勤務時間もバラバラで、
全員そろって合わせられたのは前日のみだったにも
かかわらず、
みなさんが喜んでくださり、全く用意してなかった
アンコールもいただき、本当に嬉しかったです。

今日を通して、私は本当に楽器が好きなんだな
と思いました。
ピアノもサックスもここまで好きだったことを
最近忘れていたのですが、
こうして演奏する機会があると、改めて実感できますね。
本当によかったなぁと思います。

午後はクラスごとバイキングの昼食を、
利用者と利用者のご家族と職員とで交わりの時間を
持ちながら楽しみ、
その後は1年の利用者の写真のスライドショーを
スクリーンで流したり、サンタさんがプレゼントを
届けに来たりと、イベントを行いました。

障害児にとって、1年を過ごすということは
私たち以上に重いものです。
スライドショーはクリスマス会の恒例になっている
ものですが、
今年も1年、無事に過ごせたなと思うと
泣けてきます。

クリスチャンの私にとっては、
その意味をそれぞれがどう捉えてるかは
関係なしに、
クリスマス会にこれだけの力と心を職員全員が
入れてくださることが、本当に幸せでした。
少ないですがクリスチャンの職員も何名かいます。
本当に自分が、恵まれた環境にいることを
感じさせられました。

今年のクリスマス会はこれで終わりですが、
その後には打ち上げ!
もそうですが、
このイベントを通して生まれたすばらしい
人間関係が残ります。
イベントに向けて職員間の仲はより深いものに
なりました。
礼拝の打ち合わせをした職員。
吹奏楽に誘ってくれた職員や一緒に演奏した職員。
装飾を一緒に考え、作った職員・・・
この関係を本当に大事にしたいと思います。


「きょうダビデの町で、あなたがたのために、
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
(ルカ2:11)」

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
地の上に、平和が、
御心にかなう人々にあるように。
(ルカ2:14)」

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見守られているという安心

今日道を歩いていたら、
ある老夫婦に駅までの行き方を尋ねられました。
「70歳を過ぎると何もわからなく
なってしまって・・・」
とおっしゃり、
「恥ずかしいです」
と困った顔をしていました。

私は駅までの道を伝えましたが、
そこから歩くのはお年寄りでなくても
大変な距離だったため、
近くのバス停を教え、
少し一緒に歩いていきました。

しかし私も用事を急いでいたため、
途中で2人を見送り、
しばらくの間後ろから見ていました。
そのまますぐ目を離すのには、
少し不安があったからです。

そうすると、
すぐ後ろから来た女性に
「ありがとうございました」
と話しかけられました。

その女性は老人施設の職員だそうで、
道を尋ねてきた老夫婦は、その施設に入所しており、
病気ですぐ方向がわからなくなってしまうそうです。
事故に遭わないかも心配です。
けれど、外出に施設の職員がついて行くと怒るため、
気づかれないように少し離れたところから
ついて見守っているとのことでした。
道を尋ねたのは私で7人目だったそうです。

私はこの女性が2人について行っていることに
ほっと安心し、
自分の用事に行くことができました。

こうして、どこかで自分を見守っていて
下さる方がいることは、
本当に安心できることだなぁと思いました。
この老夫婦のように、時にはそれを
うっとうしいと感じることもあるでしょう。
しかし、何かあったときのために、
見えないところで誰かが待機していて
下さっていることは、
心強いことではないでしょうか。

それと同時に私は、
どこで誰が自分の行いを見ているかわからないな
ということも、改めて感じさせられました。

誰も見ていないと思うと、つい気がゆるんで
自分勝手な行動をしてしまうんですけど、
どんなときでも、自分のことを見ている方が
いるかもしれないんですよね。
誰に見られてなくても、常に良い行いが
できてたらいいのですが、
まだまだ修行が足りないので、
まずは意識して努力したいと思います。

また、この老夫婦を通して
人はどんなときも決して一人では生きていないんだ
ということを改めて実感しました。

例えば毎日の食事も、
作ってくれる母親はもちろんですが、
材料一つ一つ、私の知らない場所で作って
下さっている人たちがいます。
その人たちとは一生会うことはないかもしれません。
見えない人たちのために、
今日も心や力を尽くして下さっている方が
たくさんいるのです。

周りを見渡せば、
そのようなものばかりで溢れています。
本当に感謝なことだなぁと思います。


「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
(イザヤ40:10)」

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満たされている大切さ

私の働いている施設では、
大体10時頃と15時頃に水分補給の時間があります。

今日もいつものように、午前10時を過ぎた頃から
利用者のための飲み物を作り始め、
一人一人飲み始めようとしていました。

しかし、いつもはそんなことないのですが、
今日は何故かのどがすごく渇いていて、
自分が何か飲まずにはやっていられないほど
になってしまい、利用者に水分をすすめる前に
まず自分が水分補給をしてしまいました。

自分が満たされていないときに、
相手にそれを与えることは
これほど難しいことだったのかと
改めて気づかされました。

そして夕食の時間、
このときも私はいつもにもましてお腹がすいて
いました。
ラーメンの話が出れば、むしろラーメンそのものに
自分がなってしまいたいほどの空腹でした。
その状態で利用者に食事を食べさせるのは、
なかなかつらいものがあります。
仕事でなかったら一緒に食べてしまいたいほどでした。

そのくらい、自分が飢え乾いているときに
相手にそれを与えるのは、困難なことなのです。

何人かの牧師さんが、メッセージの中で、
相手に愛を流すにためには、
自分が十分な愛で満たされていないと
誰かに分け与えることができないと言っているのを
聞いたことがあります。
本当に愛されて育った人は余裕があると。

私はそう言われればそうかもしれないなと
思うことはあっても、実感することがなく、
特別愛を受けてないという人にも
優しい人はいるのではないかと思っていました。

しかし、今日の出来事で悟りました。

満たされていないときに相手に与えるには、
与えたいという気持ちより、
「仕事だから」というように何か他の理由があるのです。

私にとって愛を受けていないときの優しさは、
自分が悪く見られないため、自分をよく見られるために
しているものだったのです。
ただ純粋にその人のためだけに愛の行いをするには、
自分が溢れるほどの愛を受けていなければ
できないのです。

愛が足りず、心の中に相手に対する妬みや嫉妬心、
また恐れなどがあっては、愛のある行いをすることは
なかなかできないものです。

人の幸せを純粋に喜ぶには、まず自分が幸せだと
実感していなければ難しいでしょう。
よく、人を好きになるには、まず自分を好きにならないと
いけないと言う人がいます。
それと同じようなことかもしれません。
しかし、たとえ自分を嫌ってしまっていても、どこかに
自分のことを思ってくれる方がいるということは、
心に大きな平安を与えるものとなるのでは
ないでしょうか。

このブログを見ていただければわかるように、
私は本当に愛のない人間です。
そんな私にも愛情を注いで下さる方に感謝して、
できれば周りに流せるくらいの愛を期待して、
毎日を過ごしたいなぁと思います。


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(イザヤ43:4)」

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。
(ヨハネ4:14)」

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+αの魅力

私は今、ある化粧品を定期配送で頼んでおり、
1年間毎月届くようになっています。
なぜそれにしたかというと、
キャンペーンをやっており、普通に買うよりも
かなり安い値段で購入できたからで、
期間もいろいろありましたが、1年間のコースが
一番1個あたりの値段が安かったからです。
しかも美顔器付きでした。
そしてその化粧品は口コミでもとても良いと評判でした。

しかし、実際のところ、私は化粧品の良い悪いが
そこまではっきりわかるタイプでなく、
わかっても、良いような気がするという程度です。
この化粧品については、良いと言う人も多いから、
まあ悪くはないのだろうという感覚です。

なので使っているうちに段々と1年もの長いコースに
本当にして良かったのか?という疑問がわいてきます。
私の場合、それがちょうど3ヶ月目、
3本目が届く前くらいに始まりました。
でもそのくらいだと、キャンセルまでは考えず、
とりあえずもう少し使ってみようという程度で
おさまります。

そして3本目が届きました。
すると、中には化粧品だけでなく、
「大切なお客様へ」と書いた紙がはった
小さな箱が入っていました。
中を見ると可愛いコンパクトミラーでした。
ミラーを開けると、拡大鏡と普通の鏡の二面鏡に
なっており、とても嬉しいものでした。
すると、なんだかこの化粧品を使っていることで
得している気持ちになり、やっぱり使い続けようという
気持ちになりました。

しかし、また1ヶ月程たつと、困ったことに
またわからなくなるのです。
しかし、また何か入ってくるかもしれないという
期待もあったりして、次のも使おうという気持ちが
起こされます。

そして4本目が届きました。
何か入っているかも、でも続けてはないだろう、
いや1回きりかも・・・
といろいろ考えながら開けると、
入ってました。
また「大切なお客様へ」の箱。
今回は美容液がしみ込んでいるパックシートでした。
しかも1枚とかではなく1箱です。
そこの商品の1つで、宣伝のようなものかも
しれませんが、乾燥するこの時期、
もらって嬉しくないわけがありません。
ここで、この化粧品を1年間は使ってみようという
確信が得られるのです。

そしてまた1ヶ月後、5本目の箱には、
また「大切なお客様へ」の箱が入っていました。
今回はカレンダー。
しかもおもちゃのLEGOのようなブロックでできていて、
可愛いし、自分で組み替えれば永遠に使えるように
なっていました。

ここまでくると、私はこの先、化粧品よりも
このおまけを期待して使い続けることでしょう。
それほど、同じものを使い続けるということは
難しいものです。

今回は化粧品でしたが、他のものでもそうです。
つい欲が出てしまい、もっと良いものを求めて
しまうのです。

例えば洋服。
もう一生着るに十分なほどの洋服を持っている
にもかかわらず、
また新しいものを買い続けるのです。

今は雑誌も付録付きのものがたくさん出ています。
雑誌そのものよりも、付録で選ぶのです。

私たちは常に+αの魅力に揺るがされているのでは
ないでしょうか。
そのものだけにいつまでも魅力を感じることは
今の私たちにはとても難しい事なのです。

もっとその本質だけを見て、満足できる心を持てれば
いいのになぁと思いますが、
特に職場で障害児と関わっているときに、
そう思うことが多々ありますが、
この日本で生きていくには、このことは
自分にとってとても大きな課題です。


「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
なぜなら、いくら豊かな人でも、
その人のいのちは財産にあるのではないからです。
(ルカ12:15)」

「不敬虔とこの世の欲とを捨て、
この時代にあって、慎み深く、正しく、
敬虔に生活しなさい。(テトス2:12)」

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